読書三昧 −司馬遼太郎に魅せられて−

本

今年の夏は、司馬遼太郎全講演集第1〜3巻を読んだ。第3巻の『臓器移植と宗教』は平成7年に三重大学医学部創立50周年記念で、司馬氏が「生と死」をテーマに講演したもので、日本人の生死観に大きなかかわりのある仏教の話から始めている。

「唐の時代、三蔵法師が16年もかけてインドからお経を持ち帰った。そのお経を当時長安(いまの西安)で、たくさんの僧たちがサンスクリットから中国語に翻訳したが、その際『ゼロ』という概念がよくわからなかった。数学のゼロを『空』とか『無』とか既存の漢字をあてた。インド人はゼロからすべてが生まれすべてがゼロに帰る。ゼロこそ宇宙の本質であると、哲学的に考えていた。」

次に氏は、浄土宗を始めた法然の思想をさらに厳しく哲理とした親鸞の浄土真宗について易しく概説している。私自身は無宗教だが、家の宗旨が浄土真宗なので興味深く読んだ。

「お釈迦さんのように、生きたままで悟ることはできない。生身の人間は欲望があり、怠け者で修行もできなければ、学問もできない。そんなわれわれも死ぬことで結局悟れる。死ぬとゼロに帰る。ゼロという光明に帰る。つまり一所懸命に修行することは必要なく、死んだら悟った人と同じくゼロになる」と。なんだか 都合のよい話だが、これで浄土真宗は日本中に広まった。当然、比叡山でも高野山でも一所懸命に修行していた僧たちは怒り、法然は讃岐に、親鸞は越後に流された。その後、親鸞は北関東に住み、約20年間常陸国稲田郷に滞在したのち、夫人の恵信尼を残して京都にもどる。

東本願寺 東本願寺(京都市下京区烏丸通)

関東の弟子たちの一人である唯円が書いた『歎異抄』には、「どんな悪人でも信心さえすれば、ただ念仏すれば極楽往生することができる」と、親鸞が語った言葉が書かれている。また唯円坊の素朴な質問に親鸞は「この年になっても死ぬのは嫌だ」とか「いや、私も実はわからない」などと、正直に答えている。

さて、本論の臓器に関しては、移植した場合、移植された体はその臓器を”非自己”と認識して激しくこれを拒絶するので、この拒絶反応を一生抑え続けなくてはならない。

司馬氏は講演の中で、臓器移植に賛成とか反対とか、どちらの結論も述べてはいない。ただ「理系でやっているサイエンスは哲学、そして宗教を越えつつある。サイエンスはサイエンスのために自縄自縛され、本当に人間の役に立つものなのかわからないし、将来どこへ行くのかもわからない。そのサイエンスの中から人間にとって必要なものを引き出す叡智が大切だ」と述べている。

平成9年臓器移植法が成立し施行されたが、いまだ臓器移植は定着していない。司馬氏は、臓器移植に関係する知人の医師より対社会的な理解を得ることの困難さについて打ち明けられ「ひょっとしたら、十三世紀以降、怠けつづけた日本の仏教界に問題があるのではないか。いまになって、日本の古代以来の精神風土と対決−それも医者が−せねばならぬというのは悲惨」と感想を述べている。

日本で臓器提供者が少ない理由は、司馬氏のいう「日本の古代以来の精神風土」がいちばん大きいかも知れない。それ以外に、マスコミ報道による患者のプライバシ−保護の問題、移植コ−ディネ−タ−の不足、医療保険の問題などのほかに、国民の医療不信など医療界にも問題がある。一度失墜した信頼を回復するのはなかなか困難だ。日本で移植医療が根付いていくには、この信頼回復が最も大切だと思う。

宗教家や教育者、医師など多くの専門家集団を前に堂々と講演されている姿を想像すると、「カッコいいな」と憧れる。史実を丹念に取材、研究し、まるで観てきたように話されるので、聴衆は惹きつけられるのであろう。とにかく、こんなすばらしい講演をわざわざ会場へ行かなくても、家で寝転んで好きな演題から聴ける(読める)なんて贅沢だ。

読書の秋、つぎはどんな本を読もうかなと考えている。


(平成14年9月栃耳鼻会報)


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東本願寺

東本願寺 (京都市烏丸通)

本寺専修寺(如来堂)

本寺専修寺 (如来堂 栃木県真岡市)

親鸞上人

親鸞上人 (那珂川町三輪 西宝寺)

菜の花

菜の花

チューリップ

チューリップ

桜

さくら