あなたは「大往生」できますか

平成18年3月、富山県の市民病院での人工呼吸器取り外し問題をきっかけに、厚生労働省は平成19年4月、終末期医療のガイドラインを大筋で決めた。といっても、どのような場合に人工呼吸器の取り外しが許されるかといった、人の死生観にかかわる部分までは当然のことながら踏み込めない。

これらは病院のことであって、自宅で往診してもらっている場合は人工呼吸器を装着することもないので、比較的自然な死を迎えられよう。病院でも、人工呼吸器を取り外さ(積極的安楽死)なくても輸液量を減らすとか、血圧が下がっても昇圧薬を使わず自然にまかせる(消極的安楽死)のが一般的ではないかと思う。それよりも何よりも、ホスピスやペインクリニックで行われているような苦痛を最大限軽減することの方が、尊厳死には大事である。

大往生

大学時代の恩師から文芸春秋のある記事を送っていただいた。仏教思想家ひろさちや氏の「大往生を遂げるための10冊」の中で、いずれわたしは死ぬのであるが、そのわたしの死に方こそ「大往生」である。あなたが死ぬ、その死に方が「大往生」なんだ。どんな死に方だって確実に「大往生」が遂げられる。どうか安心して死んでください。と言うのだが、痛みでのたうちまわって「尊厳をもった死」と言えるのか少し心配である。

昔のような家族制度が崩壊し、農山村部でも核家族化しているので自宅で死を迎えるのは難しい時代になっている。在宅ホスピスを実践している医師もいるが、極少数である。これからしばらくは急速に老人が増え続けるのだから、早急に地域に「看取りの場」としての終末期医療施設を設ける施策が必要となっている。

終末期医療:治る見込みがなく、死が避けられない患者への医療

(平成19年4月越井クリニックHPごあいさつ)


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