追 悼
県南佐野市の秋山欣治先生は、慈恵会医科大学耳鼻咽喉科学教室から獨協医科大学気管食道科学助教授として赴任された。そのころ私が医師になって入局した時(昭和55年)、頭頸部手術や学会報告、医師としての信念をご指導いただいた。また、「和を以て尊しと為す」の信条の下、よく先輩とともにご馳走になった。いわゆる昭和の時代の“飲みニケーション“である。アルコールが弱かった私にとっては、折角美味しい晩御飯の後、2軒、3軒と梯子するのは苦行であった。しかし職場で良好な人間関係が築けなければ、仕事はスムーズに進まないということを身をもってご教授いただいたと感謝している。先生が佐野市でご開業のために獨協医科大学を退職されてからは、年賀状を交換する程度であまりお会いする機会はなかった。
普段、スマホやパソコンで音楽を聴きながら仕事をしているが、今回ひょんなことから令和2年8月19日と20日に、今迄聴くことのなかった演歌を、それも何故か吉幾三の「雪国」「酒よ」※をユーチューブで視聴していた。ビシッとブレザーを着こなした若い頃の吉幾三が秋山先生にそっくりであり、大相撲解説の北の富士にも似ているなと思いつつ、むかし二次会、三次会で歌ったカラオケを思い出しながら何度も繰り返し視聴した。
8月20日は木曜日で休診だったため、夜、パソコンを開いてメールチェックしていたところ、秋山先生が19日お亡くなりになったとの訃報に接し、絶句した。あの世に旅立つ時に「越井、あばよ。」と最期のあいさつをするために風になって来てくれたのかと思い、先生の律義さに泣けた。
先生は佐野市医師会長として東奔西走され、行政と掛け合って市民、医師会員のため長年にわたって辣腕を振るい、多大な功績を残されました。平成23年には叙勲旭日双光章を受賞されました。
通夜に県南の佐野市まで車を飛ばし、遺影の前で「秋山先生、さようなら」。
今夜は演歌を聞きながら、思い出して飲もう。
※ | 因みに、秋山先生が当時「雪国」「酒よ」をカラオケで歌っていたわけではなく、軍歌を歌っている姿しか記憶にない。かと言って、先生は昭和16年生まれだから戦争には行っていない。 |
(栃耳鼻会報 第91号 令和3年4月1日)